
こんなこともありました。大人の足で一一三分のところにニワトリを飼っている家があり、ある日、飼い主が怒鳴り込んで来ました。「お宅の子供が小屋の網の中に棒を入れて、トリをつついている」とのこと。一生懸命にお詫びをしましたが聞き入れてくれません。「実は子供は難聴で…」と話しても、聞き入れてくれません。品物を持っていっても受取ってもらえませんでした。子供にすれば、ニワトリがびっくりして大きな鳴き声が聞こえたのでしょう。
大村の国立病院に、長崎大学の先生が出張してくるようになり、言語クリニックは大村で受けられるようになり助かりました。
家のテレビで、ろう学校が佐世保市にあることを知り、早速、手続きをして、幼稚部から寄宿舎に預けることにしました。先生の説明があり、子供が遊んでいる間に隠れて帰りました。初めて子供を手放し、何日も眠れぬ夜が続きました。子供の方がもっと寂しい思いをしたことでしょう。しばらくは面会することはできませんでした。
宿舎では、子供がよく風邪を引きました。あのころは、炭鉱の社宅に電話はありませんでした。私の住宅は労働組合事務所の下にあったので、上から、「電話ですよ」と呼ばれ、近道をして土手を躯け登りました。寄宿舎からの電話は、「子供さんが風邪で熱を出しました。病院には診せているが、団体生活だから早く連れにきてください」との連絡。こんなことが度々あり、寮母さんには随分と迷惑をかけました。
土曜にはなるべく子供を連れに行きました。小学四年のとき始めて連絡なしで学校から一人で帰宅したのにはびっくりしました。学校から桟橋までバスに乗り、船で一時間の距離です。
前ページ 目次へ 次ページ
|

|